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2008年3月24日 (月)

ウインドフォール回顧

一口馬主の思い出(7)

ウインドフォールは栗東・鹿戸厩舎所属のエンドスウィープ産駒です。
額に「、」のような形の小さな星がある鹿毛の牡馬でした。

出資した理由はリヴインホープと同じで、早期デビューできそうだったことと、ダート向きの馬なら故障する可能性も低いのではないかと思ったからでした。
ウインドフォールはエンドスウィープの内国産初年度産駒で、スイープトウショウやアドマイヤムーンはまだ走っていません。
当時エンドスウィープ産駒と言えば、サウスヴィグラスを代表として、ダート短距離が主な活躍の場でした。

さて、早く仕上がりそうという予想は当たり、順調に調整の進んだウインドフォールは、2歳新馬戦の始まる前、4月26日に山元TCへ移動しました。
5月16日にはグリーンウッドへ移り、入厩前調整を始めます。

しかし、ここから長いトンネルに入ることになります。
リヴインホープのようにケガをしてしまったわけではありません。
厩舎に入れてもらえないのです。
十分仕上がり、入厩できる状態なのに、「厩舎に3歳未勝利馬がいるから」という理由で、ずっとグリーンウッドで待機です。
いつ声がかかるか待ちながら、6月、7月、8月と、ひたすら15-15を乗り続けます。
その間、同じ厩舎の2歳馬たちはぞくぞくと入厩し、デビューしていきます。

2歳の8月、いつまでたっても入厩のメドが立たないため、いったんペースを落としてから、仕上げ直すことになりました。
どころがペースを緩めたとたんザ石を起こしてしまい、治療し終わった後も原因不明のハ行が治まりません。
見た目に腫れがあるわけでもなく、レントゲンを撮ってもエコー検査でも異常はありませんでした。
素人考えですが、夏の間ずっと、いつでも入厩できるように体調を維持し続けたことが、このハ行の原因だったんじゃないかと思っています。
ペースを緩めたことで、張り詰めていたものが切れて、疲れが一気に出たのではないでしょうか。

結局、入厩できたのは11月でした。
6月にはすでに入厩できる状態だったのですから、半年も時間を費やしてしまったことになります。
ゲート試験に手こずったこともあり、デビューは明け3歳の1月28日。
芝1800mです。
スタートで出遅れ、四角で逸走というめちゃくちゃな走りでタイムオーバーでした。

2戦目はダ1700m。
大きく出遅れるも5着と健闘。
ダートなら・・・、と思わせる内容でした。
しかし、この後2度とダートを走ることはありませんでした。

3歳4月、3戦目の芝1800mを9着で終えた後、グリーンウッドへ放牧へ。
この時点では短期放牧の予定で、「6月中には入厩させたい」とのことでした。

しかし、結局、再入厩したのは8月18日。
10日後の8月28日に追い切り1本で芝1800mに出走。
あえなく12着に沈みます。
すでに2走連続9着以下だったため、次に9着以下になるようだと1ヶ月の出走停止となり、未勝利戦が終わってしまいます。
まさに正念場。
1度叩いて上向きになるでしょうし、ぜひともきっちり仕上げてダートを使って欲しい、と心から願いました。

なんと連闘で芝2000mへ。
2週連続で小倉へ長距離輸送です。
好走できるはずもなく、ウインドフォールは11着に沈みました。
連闘で疲れがあったのでは、と騎手はコメントしていました。
そして引退。

もう言葉もありません。
騎手の「ダートの方がよさそう」との評価にもかかわらず、芝に固執。
追い切りもろくにせず、馬房待ちはトータルで半年は軽く超えます。
2歳時、「3歳未勝利馬がいる」という理由で入厩させてもらえなかったのに、他の2歳馬は入厩していました。
いざウインドフォールが3歳未勝利という立場になったら、年下の2歳馬は入厩してどんどんレースを走っているのに、やっぱりウインドは馬房が空くのを待ち続けなければいけませんでした。
何でこんなに嫌われなければならないのでしょう。

引退後、ウインドフォールは岩手競馬へ移籍しました。
そこでの成績を見る限り、調子のいいときに入厩し、ちゃんと調教してレースを選べば、勝ち上がれた・・・かどうかはわかりませんが、少なくとも3アウトで未勝利戦終了前に引退しなければならないほどではなかったと思います。

ダートを使わなかったのは、その後エンドスウィープ産駒が芝でも走っていることや、2歳下の半弟アドマイヤジュピタが芝長距離で重賞勝ちを収めるほどの活躍をしていることから、実はウインドフォールは芝もこなせたんだと、無理やり納得できないこともありません。
でも、最後のレースをなぜ連闘したのかは、あれから数年たった今でもわかりません。
次に9着以内に入らなければ、未勝利戦が終わってしまうのに、入厩して10日でレースに使った馬をわざわざ2週連続で小倉まで輸送する必要があったのでしょうか。
一刻も早く馬房を空けたいのかと思いきや、一度は500万下で続戦させると言い出し、半月ほど調教しているんですよ。
結局力不足ということで続戦は撤回となり、引退しましたが。
まったくもって行き当たりばったりというか、理解できません。

実は私、ウインドフォールの命名者なんですよね・・・。
そのぶん思い入れもあっただけに、残念でなりません。

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